川越遺跡

島田市博物館から東へ続く約300メートルのルートは、昭和41(1966)年に国指定の史跡になりました。正式には「島田宿大井川川越遺跡」と言います。江戸時代、幕府により架橋、通船を禁じられていた東海道最大の難所、大井川は川越人足たちの手を借りなければ渡ることができず、川越遺跡周辺は大変賑わっていました。島田宿の川越しの拠点となったこの地は、当時の町並みが復元・保存された江戸時代の情緒を残す野外ミュージアム的な空間です。

画像の説明



川越遺跡を東側から紹介


口取宿(くちとりやど)

口取宿

陸取り(おかどり=現役を引退した川越人足など)が詰めていた建物で、人足たちに公平に偏りが出ないよう仕事を割り振ったところ。現役の人足へのアドバイスなども行っていたといわれています。


仲間の井戸

仲間の井戸

六番宿の横道を数メートル入ると井戸があります。いつ頃掘られたか定かではありませんが、明治30(1897)年に改修され、現在の形となりました。このつるべ井戸は水道が敷かれる昭和29(1954)年頃まで実際に使用されており、井桁(いげた)には、その頃の利用者の名前が刻まれていました。


番宿

三番宿

川越人足の詰所。川越人足は一から十までの組に分けられ、各番宿にて待機していました。現在は三番宿、十番宿を公開しています。


荷縄屋

荷縄屋

川を越すために荷物を梱包し直したり、荷造り用の縄やわらじ、笠などを販売していたといわれています。


仲間の宿

仲間の宿_立札

陸取りなどの詰所であり、会合や親睦の場としても利用されていたと言われています。
現在は、復元された権三わらじを展示しています。権三わらじとは、人足が履いた川越用のわらじです。


立合宿跡

 立合宿跡

立合宿(たちあいやど)は、川越人足の世話人的立場の立合人(川越しを待っている旅人たちを番宿や越場【こしば=渡し場】まで案内する役目)が、詰めていた場所と言われています。


札場(ふだば)

札場

一日の川越しが終了すると、それぞれの番宿(ばんやど=人足の待機場所)で、各組の陸取り(おかとり)などが人足の川札を回収し、札場で現金に替えて人足たちに賃金として分配していました。
現在は建物の一部が体験学習の場として利用され「機織り」の体験ができます。
機織り体験


川会所

川会所

川の深さなどを測って川越しの料金を決めたり、川札(かわふだ=切符)の販売のほか川留めや、川開けなどを取り仕切った川役人がいた。元禄9(1696)年に川越制度が確立されてから、川越業務を行なってきた建物です。現存する建物は安政3(1856)年に建てられたもので、明治以降数回の移転を経て、昭和45(1970)年、川会所跡の西側の現在地に復元保存されました。川会所の中には、人をのせた連台(れんだい)などが展示してあります。金谷側にも同様の施設がありましたが、残されていません。


芭蕉句碑

 芭蕉句碑

川会所の敷地内にある、「馬方はしらし時雨の大井川」(うまかたは しらじ しぐれのおおいがわ)の句碑です。元禄4(1691)年、まだ川越制度が確立していない頃に、松尾芭蕉が大井川を渡った時の心境を詠んだといわれています。


せぎ跡

せぎ跡

博物館より少し東に行くと、街道の左右に「せぎ跡」があります。河原の石が積まれ、溝に板を挟んで堤防の役目をしました。この「せぎ跡」より西側は河原でした。


川越遺跡の地図

川越し街道マップ